何故私は君でなくて、君は私でないのか。子供の頃、そう思った経験のある人は、おそらく少なくないに違いない。きっと皆、そんなことを疑問に持ったことすら忘れているだけで。
Wim Wendersの1987年の作品、「ベルリン・天使の詩」を観る。何年か前、ベルリンを訪れてからずっと、観よう観ようと思いつつ、つい先日まで忘れていた。最近Bruno Ganz主演の映画を目にし、そういえば…と思い出したのだ。埃にまみれたビデオテープ(ずっと以前にテレビ放映されたものの録画)をやっとこさ救出し、ようやく天使の詩に耳を傾けることができたのだった。
正直言って、万人受けする映画ではないと思う。天使が人間に恋をして、人間になる。言ってみれば、それだけのストーリー。何かドキドキするような大事件が起こるわけでもなく、ただ淡々とものがたりが進んでいくだけ。でもそれがいいのだ。
物語の比較的初めの方で、二人の天使がオープンカーの中で、互いに情報交換するシーンがある。天使の一人であるBruno Ganzは言う。時々霊でいることにうんざりすることがある、と。そして、新聞を読んで指先が黒く汚れたり、靴を脱いでつま先を伸ばし、裸足の感触を味わったりできれば、どんなにか気持ちのいいことだろうな、と続ける。淡々とした彼の語りが、何故だか心の隅々まで染み渡って、なんてことはない場面なのに、思わず涙がこぼれそうになった。当たり前だと思っていたことが、実はどんなに幸福なことだったかを気づかせてくれる、静かで優しい、とてもいいシーンだと思う。
全体を通して、詩のような映画。そういう意味ではなかなか良い邦題なのではないだろうか。Als das Kind Kind war,…(子供が子供であったとき、…)から始まる文章が、映画のあちこちに散りばめられているが、これはおそらく誰かの詩の引用なのだろう。冒頭の子供の頃に感じた素朴な疑問も、その詩の一部。そうそう、確かにあの頃そう思ったよね、そう頷きながら、耳に心地よい朗読にしばし酔う。
日々の生活に飽き飽きしている人、刺激のない毎日に嫌気が差している人、そんな人に是非観て欲しい。つまらないと思っていた日常が、きっと愛おしく思えてくるから。