ホテルから中心街に向かい、駐車場を探そうとウロウロしていた時点で、
コルドバもセヴィーリャ同様、わたしが想像していたより遙かに大きな街だ、
ということはもうはっきりしていた。
これはとても名所全部は見切れないな、と、狙いをメスキータにだけ定め、向かう。
正直、日本語で大聖堂だとかカテドラルだとか呼ばれる場所には、少々飽きてきていた。
その中でも特に気に入っている建物はあるにはあるが、皆多かれ少なかれ、大体同じだ。
だからこそ、今回このモスクを訪れることを、わたしはとても楽しみにしていた。
なぜなら、ここはモスクでありながら、中にカテドラルも存在するらしい、と聞いていたからだ。
イスラム教とキリスト教が同じ建物内に同居しているなんて、
一体どんな造りになっているのだろうと、それだけでワクワクしてくる。
内部に入ってすぐに目にしたのは、有名な赤と白のアーチだった。
礼拝中なのか、仄暗い中歌も響いてきて、雰囲気は十分、なはずなのだが、
わたしには、実物よりこれまで見てきた写真の方が、ずっと魅力的に思えてならなかった。
それは一体何故なのだろうかと思いながら、写真を撮りつつぐるぐる歩いていた。
気づいたのは、この十字架を見たときだった。
モスク内部に、突如として現れる、このカテドラルだ、と。
何とな感じていた違和感は、やはりこれだったのだ。
写真というものは、その風景の一部分だけ切り取るものだ。
だから、それを個別に見ても、別に何もおかしいと思わない。
写真を見ただけ、と、実際現地で見るのには、驚くほど差があるものだ。
その場に居合わせないと分からない雰囲気、というものは、確かに存在する。
だからこそ、人は旅をするのだろう、と思う。
その雰囲気を、自分の目で、耳で、肌で、感じるために。
そういう意味では、今回この風変わりな建物を訪れることができて、よかったと思う。
来なければそもそも、その奇妙さに気づくこともなかっただろうから。
こんな場所、きっと他にはそうそうない。
天井がところどころ木なのも、何だか新鮮に思える。
これだけ見たら、まさかイスラム教の建物だなんて、思わないだろう。
でも、なんだかかわいい。
随分と広い内部を一通り見学し終わった頃には、何だか妙に疲労していた。
この不思議な空間にしてやられたのかもしれない、
そう思うと可笑しくて、一人笑いがこみ上げてくるようだった。
ああ愉快。これだから旅はやめられないのだ。