ここでの最後のクリスマスになるかもしれない、と聞かされたのは、
クリスマスマーケットが終わる前日のことだった。
覚悟はしていたものの、その衝撃は大きすぎて、未だ少しばかり動揺している。
当たり前に見ていたこの景色を、もうすぐ見られなくなると思うと、つい気分が塞いでしまう。
ホットワイン片手に皆が語らう様子もこれで見納めなのか。そう思うと、
いてもたってもいられなくなって、街へとび出した。
もちろん行き先は、クリスマスマーケット。
息子をメリーゴーランドに乗せつつ、わたしは今年何度目かのホットワインをゆっくり飲んだ。
何だか切ないような、哀しいような味がした。
ドイツの冬の朝の寒さは、わたしに否応なく、この国に来て最初の三ヶ月間のことを思い起こさせる。
孤独というものを最初に知ったのは、間違いなくあのときだ。
知る者は誰もいない。言葉は分からない。土地勘はない。日本への連絡手段は手紙だけ。
自分を追い込むため、望んでそういう環境に身を置いたとはいえ、
当時のわたしは、ドイツの冬空よりも暗かったと思う。
心配したホストマザーが度々外に連れ出してくれていなかったら、
今頃わたしはこうして生きていなかったかもしれない、とまで思う。
あれから丸9年が経とうとしている。
状況はまるで変わった。友人は増え、家族も出来た。多少のドイツ語は覚えた。
今ではどこへだって一人で行ける自信がある。日本へはメールだって電話だってしたい放題だ。
居心地が悪いはずがない。寧ろ、元居た場所に戻るのが怖い。本当に怖い。
どこだって住めば都となるのだ、と頭では分かっていながら、今ここを離れるのは辛い。
どうしようもなく。来年はどこで、どんな思いで、クリスマスを迎えているのだろうか。
クリスマスマーケットが終わる前日のことだった。
覚悟はしていたものの、その衝撃は大きすぎて、未だ少しばかり動揺している。
当たり前に見ていたこの景色を、もうすぐ見られなくなると思うと、つい気分が塞いでしまう。
ホットワイン片手に皆が語らう様子もこれで見納めなのか。そう思うと、
いてもたってもいられなくなって、街へとび出した。
もちろん行き先は、クリスマスマーケット。
息子をメリーゴーランドに乗せつつ、わたしは今年何度目かのホットワインをゆっくり飲んだ。
何だか切ないような、哀しいような味がした。
ドイツの冬の朝の寒さは、わたしに否応なく、この国に来て最初の三ヶ月間のことを思い起こさせる。
孤独というものを最初に知ったのは、間違いなくあのときだ。
知る者は誰もいない。言葉は分からない。土地勘はない。日本への連絡手段は手紙だけ。
自分を追い込むため、望んでそういう環境に身を置いたとはいえ、
当時のわたしは、ドイツの冬空よりも暗かったと思う。
心配したホストマザーが度々外に連れ出してくれていなかったら、
今頃わたしはこうして生きていなかったかもしれない、とまで思う。
あれから丸9年が経とうとしている。
状況はまるで変わった。友人は増え、家族も出来た。多少のドイツ語は覚えた。
今ではどこへだって一人で行ける自信がある。日本へはメールだって電話だってしたい放題だ。
居心地が悪いはずがない。寧ろ、元居た場所に戻るのが怖い。本当に怖い。
どこだって住めば都となるのだ、と頭では分かっていながら、今ここを離れるのは辛い。
どうしようもなく。来年はどこで、どんな思いで、クリスマスを迎えているのだろうか。
今年は、クリスマスらしいことといったら、せいぜいモミの木の枝でリースを作ったぐらいで、
雪も降らず、大して寒くもないせいもあってか、大して気分も盛り上がらず、
当然準備も捗らないまま、クリスマス当日を迎えることになった。
あろうことか、失敗するはずもないケーキまで酷い出来となってしまい、
世界中がハッピーな気分でいるであろうこの日、わたしはひどく落ち込んだ。
息子が口の周りをクリームでいっぱいにしながら、喜んで食べてくれたのが唯一の救いか。
おまけに風邪までひいてしまい、散々なクリスマス。
まあこんな年もあるか。
写真は街を華やがせてくれていたクリスマスの電飾。
白い雪の代わりに、せめて輝く結晶を。
苦手な11月を、今年は何とかやり過ごした、とホッとしたのがいけなかったのだろうか、
12月に入った途端、あれやこれやと難題が降りかかり、心身ともにクタクタな毎日を送っている。
この時期なので寒いのは致し方ないにしても、雨ばかり降るのでどうにも気が滅入ってしまう。
これで雪でも降れば、少しは明るくなるのだけれど。
今から溯ること数週間前。
ついに心に限界がきて、息子を抱きかかえて停留所で呆然と突っ立っていたときのこと。
その姿がよっぽど酷かったせいだろう、見るに見かねた一人の老齢の女性がわたしに話しかけてきた。
「旦那と喧嘩でもしたのかい?そうなんでしょう?」と。
思わず、いや、違うんです、実は・・・と初対面にも関わらず、ついぽろりと話してしまった。
話しているうちに、ずっと堪えていた涙がどうにも止まらなくなってきて、
人が大勢行きかうのも構わず、ただただ泣きながらその場に立ち尽くしていた。
気がついたときにはその女性は、わたしの目の前から消えていたけれど、
その頃には涙の分だけ何だか体も心も軽くなった気がして、少し楽になっていた。
同じ頃、一眼レフの調子が悪くなってきたので、カメラを修理に出した。
預けに行った先は、もう何十年もこの道一筋といった趣が漂う、古いアパートの一角だった。
優しい目をしたおじいさんが、少々世間話などしつつ、カメラを丁寧に見てくれている。
それだけで、凝り固まっていた心がほぐれるような気がしていた。
よいクリスマスを、とお互いに言って別れたあとのわたしには、きっと笑顔が戻っていたと思う。
袖振り合っただけの人たちに、どうやらこの冬は随分と救われたようだ。
辛いときほど、誰かのふとした言葉だったり笑顔だったりがありがたく思える。
こうして受け取った分、わたしもいつか誰かに返していかなければ。
写真は、不調な愛機に代わり、11月中活躍してくれた、コンデジによる一枚。
先月はこんなに光に溢れていたのか、と、つい一ヶ月前を遠い昔のことのように感じるのは、
峠を越した、ということなのだと思う。いや、そう思いたい。
先週末、息子を夫に預けて、友人と蚤の市に出掛けた。
ベビーカーを押さずに街を歩くなんて、一体いつ以来のことだっただろう。
周りを気にせず、自分のペースでいられることが、こんなに楽なことだったとは。
今までずっと、忘れていた感覚。
普段どれだけ愛情を持って接し、どんなにかわいく思っていたとしても、「イヤイヤ期」に突入して、
家でも外でも扱いが難しくなってきた息子と離れるのは、悪いと思いつつも、実は正直、とても嬉しかった。
開放感で、なんだか街全体がきらきらして見える。今まではあんなにくすんで見えていたのに。
というより、単に周りの風景を見る余裕などなかっただけか。わたしも少し、疲れていたのかもしれない。
今回の蚤の市は、残念ながらたいした収穫はなかったけれど、
友人とお茶をしたり、普段は息子に邪魔されてゆっくり見れないお店などを廻って、
かなりの気分転換をさせてもらった。
家に帰ると夫にたっぷり遊んでもらった息子が、ご機嫌で出迎えてくれた。
いつもより愛おしく思えるのは、果たして気のせいだっただろうか。
たまに母子が離れてみるのも、家族三人それぞれにとって、いいことなのかもしれない。
ベビーカーを押さずに街を歩くなんて、一体いつ以来のことだっただろう。
周りを気にせず、自分のペースでいられることが、こんなに楽なことだったとは。
今までずっと、忘れていた感覚。
普段どれだけ愛情を持って接し、どんなにかわいく思っていたとしても、「イヤイヤ期」に突入して、
家でも外でも扱いが難しくなってきた息子と離れるのは、悪いと思いつつも、実は正直、とても嬉しかった。
開放感で、なんだか街全体がきらきらして見える。今まではあんなにくすんで見えていたのに。
というより、単に周りの風景を見る余裕などなかっただけか。わたしも少し、疲れていたのかもしれない。
今回の蚤の市は、残念ながらたいした収穫はなかったけれど、
友人とお茶をしたり、普段は息子に邪魔されてゆっくり見れないお店などを廻って、
かなりの気分転換をさせてもらった。
家に帰ると夫にたっぷり遊んでもらった息子が、ご機嫌で出迎えてくれた。
いつもより愛おしく思えるのは、果たして気のせいだっただろうか。
たまに母子が離れてみるのも、家族三人それぞれにとって、いいことなのかもしれない。
親馬鹿話で恐縮だが、息子は二歳二ヶ月にして、なかなかのジェントルマンだ。
一緒に眠るときは「ママ寒い?」と言って毛布をかけてくれ、わたしが頭が痛いと言えば「よしよし」と頭を撫で、
出掛けるときは「どーぞ」と言って靴を持ってきてくれる。
ありがとうとお礼を言うと、本当に嬉しそうな顔をする彼を見て、ああ、これが人の本来の姿だよなと思う。
人の役に立ちたい、役に立てたら嬉しい、と思う気持ち。
本当は、誰もが持っていたはずの、人を思いやる優しい心。
大人はいつの間に忘れてしまったのだろうか。
教えたわけでもないのに、音楽が流れると踊り出すのは、一体どういうわけなのか。
好きな曲が流れると、歌うわ踊るわでもう大騒ぎ。
挙句の果てにはでんぐり返し(これだって教えたわけではない)までする始末。
彼があまりに楽しそうにしていると、歌ったり体を動かしたりするのは、
人の至極自然な欲求なのだなと思わずにはいられなくなる。
公園に行くといろんな子供に出会う。
目が合うとにこりと微笑んでくれる子もいれば、憮然とした表情で目を逸らす子もいる。
面白いのは、まず例外なく、前者の親は気さくでとても感じが良く、
後者の親は全身に「話しかけるなオーラ」が漂っていることだ。子は親を映す鏡、とはよく言ったものだ。
子供が産まれてからというもの、息子にどんな人間になって欲しいか、と会う人会う人に尋ねられる。
何でも出来れば出来たに越したことはないのだろうけれど、わたしはとにかく、
健康で、笑顔で挨拶できる子であれば、他には何も望まない。
そのためにはまず、親が見本を示さなければ、と思うのだが、果たして良い見本になれているか・・・
その自信はかなりない。
子供と生活を共にしていると、気づかされることがたくさんある。
毎日がその連続だ。忘れていた想い、無くしてしまったもの、人が人として在るための大切な本質、
そういったものを全部掘り起こしてくれる。まるで宝探しみたいに。
子育てしているはずなのに、むしろこちらが「親育て」されている気がしてくるのはそんなときだ。
彼が探し当ててわたしに差し出してくれるものは、いつも決まってきらきらしている。眩しいくらい。
彼が産まれる前は、女の子が欲しくてたまらなかったのが嘘みたいに、男の子が産まれてきてくれて、
いや、この子が産まれてきてくれて、本当に良かったと心から思う。
夫が海外出張に出掛けてしまったので、今宵もわたしの小さな恋人と二人、ひしと抱き合って眠った。
今頃ホテルの部屋で一人淋しい夜を過ごしている夫は、一体わたしたちのどちらにヤキモチを焼くだろうか。
一緒に眠るときは「ママ寒い?」と言って毛布をかけてくれ、わたしが頭が痛いと言えば「よしよし」と頭を撫で、
出掛けるときは「どーぞ」と言って靴を持ってきてくれる。
ありがとうとお礼を言うと、本当に嬉しそうな顔をする彼を見て、ああ、これが人の本来の姿だよなと思う。
人の役に立ちたい、役に立てたら嬉しい、と思う気持ち。
本当は、誰もが持っていたはずの、人を思いやる優しい心。
大人はいつの間に忘れてしまったのだろうか。
教えたわけでもないのに、音楽が流れると踊り出すのは、一体どういうわけなのか。
好きな曲が流れると、歌うわ踊るわでもう大騒ぎ。
挙句の果てにはでんぐり返し(これだって教えたわけではない)までする始末。
彼があまりに楽しそうにしていると、歌ったり体を動かしたりするのは、
人の至極自然な欲求なのだなと思わずにはいられなくなる。
公園に行くといろんな子供に出会う。
目が合うとにこりと微笑んでくれる子もいれば、憮然とした表情で目を逸らす子もいる。
面白いのは、まず例外なく、前者の親は気さくでとても感じが良く、
後者の親は全身に「話しかけるなオーラ」が漂っていることだ。子は親を映す鏡、とはよく言ったものだ。
子供が産まれてからというもの、息子にどんな人間になって欲しいか、と会う人会う人に尋ねられる。
何でも出来れば出来たに越したことはないのだろうけれど、わたしはとにかく、
健康で、笑顔で挨拶できる子であれば、他には何も望まない。
そのためにはまず、親が見本を示さなければ、と思うのだが、果たして良い見本になれているか・・・
その自信はかなりない。
子供と生活を共にしていると、気づかされることがたくさんある。
毎日がその連続だ。忘れていた想い、無くしてしまったもの、人が人として在るための大切な本質、
そういったものを全部掘り起こしてくれる。まるで宝探しみたいに。
子育てしているはずなのに、むしろこちらが「親育て」されている気がしてくるのはそんなときだ。
彼が探し当ててわたしに差し出してくれるものは、いつも決まってきらきらしている。眩しいくらい。
彼が産まれる前は、女の子が欲しくてたまらなかったのが嘘みたいに、男の子が産まれてきてくれて、
いや、この子が産まれてきてくれて、本当に良かったと心から思う。
夫が海外出張に出掛けてしまったので、今宵もわたしの小さな恋人と二人、ひしと抱き合って眠った。
今頃ホテルの部屋で一人淋しい夜を過ごしている夫は、一体わたしたちのどちらにヤキモチを焼くだろうか。
11月になった。毎年この時期になると、理由も無く気分が沈むのだけれど、
今年は幸か不幸か、考えなくてはならないことで常に頭がいっぱいで、落ち込む暇もない。
じっとしていても考えがまとまりそうにないので、家族と共に公園へ向かう。
考え事をするときは、歩くに限る。三輪車を押しながら、街路樹の黄葉にしばし心を奪われる。
わたしが好きなのは、ギムナジウムの校庭に植えられている木で、ここも我が家の散歩コースなのだが、
黄色い落葉樹が多い中で、透き通るような赤い色には、いつ通りかかってもハッとさせられる。
わたしがここに通う生徒であったなら、毎日授業中窓の外ばかり眺めて、
先生の声が耳に入ってこないかもしれない。
夏の間、我々の目を楽しませてくれた公園の花々はほぼ消え、
目に付くのは早咲きのパンジーと、色づいた木の葉ばかりだ。
足元はさながら黄色い絨毯、頭上は風に吹かれた木の葉で黄色い雪が舞っているよう。
秋の間、息子が集めに集めた栃の実も、今ではすっかり落ちきってしまったのだろう、
もうどこにも見当たらなかった。
栃の実といえば、いくら訂正しても息子はこれをずっと「栗」だと呼び続けた。
これは本物の栗を見せねばと、市場で買い求めて比べさせたのだけれど、やはり区別が付かなかったらしい。
確かによく似ているから、二歳児には少々難しかったかもしれない。
昨年はバタバタしていて気がついたら栗の季節を逃していたのだが、
今年は彼のおかげで栗三昧の秋であった。渋皮煮にいたっては珍しく三度も作った。
大量にできたと喜んでいたのも束の間、あっという間に息子に平らげられてしまったのだけれど。
苦手だった秋が、年々それほど嫌でなくなっている。
紅葉に栗に編み物に・・・と少しずつ愉しみが増えているからだろうか。
寒くなるのも悪くない、そう思える日も遠くなさそうだ。
今年は幸か不幸か、考えなくてはならないことで常に頭がいっぱいで、落ち込む暇もない。
じっとしていても考えがまとまりそうにないので、家族と共に公園へ向かう。
考え事をするときは、歩くに限る。三輪車を押しながら、街路樹の黄葉にしばし心を奪われる。
わたしが好きなのは、ギムナジウムの校庭に植えられている木で、ここも我が家の散歩コースなのだが、
黄色い落葉樹が多い中で、透き通るような赤い色には、いつ通りかかってもハッとさせられる。
わたしがここに通う生徒であったなら、毎日授業中窓の外ばかり眺めて、
先生の声が耳に入ってこないかもしれない。
夏の間、我々の目を楽しませてくれた公園の花々はほぼ消え、
目に付くのは早咲きのパンジーと、色づいた木の葉ばかりだ。
足元はさながら黄色い絨毯、頭上は風に吹かれた木の葉で黄色い雪が舞っているよう。
秋の間、息子が集めに集めた栃の実も、今ではすっかり落ちきってしまったのだろう、
もうどこにも見当たらなかった。
栃の実といえば、いくら訂正しても息子はこれをずっと「栗」だと呼び続けた。
これは本物の栗を見せねばと、市場で買い求めて比べさせたのだけれど、やはり区別が付かなかったらしい。
確かによく似ているから、二歳児には少々難しかったかもしれない。
昨年はバタバタしていて気がついたら栗の季節を逃していたのだが、
今年は彼のおかげで栗三昧の秋であった。渋皮煮にいたっては珍しく三度も作った。
大量にできたと喜んでいたのも束の間、あっという間に息子に平らげられてしまったのだけれど。
苦手だった秋が、年々それほど嫌でなくなっている。
紅葉に栗に編み物に・・・と少しずつ愉しみが増えているからだろうか。
寒くなるのも悪くない、そう思える日も遠くなさそうだ。
さて、ようやくというかなんというか、今日でノルマンディー(とその周辺)旅行、最終回。
ドイツへの帰り道に寄ったのは、シャンパーニュ地方のランス。
この町には世界遺産が三つあって、そのうちの一つ、ノートルダム大聖堂へ行った。
ここの目玉はなんといっても、シャガールのステンドグラス。
いかにもシャガール!なこの青を、できればもっともっと、長く眺めていたかった。
この大聖堂にはシャガールのものだけでなく、たくさんの美しいステンドグラスがいっぱいで、
これまで数え切れないほどたくさんの教会や大聖堂でステンドグラスを見てきたけれど、
ここまで量、質ともに優れた場所を、わたしは他には知らない。
ちなみに外観も美しくて
こんな感じ。工事中だったのが少し悔やまれるけれど。
周辺の土産物屋でワインとマスタードを買い、家路に着いた。
ここに寄り道できて、本当に良かった、と思いながら。
ご無沙汰しています。
ノルマンディー旅行記を完結させないまま、一ヶ月が経ってしまいました。
あれやこれやと大変な一ヶ月を過ごしてしまったせいか、
旅行の記憶ははるか彼方に消え去ってしまっている感も拭えませんが、
もうしばらくお付き合いくださればと思います。
さて、気を取り直して、前回の続きを。
回廊を後にした我々は、潮が満ちてしまう前に、少し干潟に下りてみた。
ちなみに下の写真は、修道院に登ったときに上から撮ったものなのだが、
もちろん我々はこんなに遠くには行ける筈もなく、
駐車場脇のすぐそばの水辺で、せいぜい泥んこ遊びをする程度。
それでも、思いがけず水と戯れられた息子は満足げだった。
泥をすっかり落としてから、夕食を取りにレストランへ。
味はともかく(最初から期待していない)、いつもの倍の予算が必要なほどの値段の高さに驚く。
ああ、さすがは観光地・・・。
それでも、隣のテーブルのフランス人家族がなかなかいい人たちで、
小学生ぐらいの息子さんが我が息子を相手に遊んでくれたおかげで、
随分と楽しいひとときを過ごすことができた。
帰り際、お兄ちゃんが息子にフランス語でなにやら言っている。
ご両親に訳してもらったところ、どうやら「僕んち遊びにおいでよ」としきりに懇願していたらしい。
なんて可愛らしい!有難い申し出に、思わず顔がほころぶ。
ところで、食事中、突然外から轟音が聞こえてきたので何事かと窓際に行くと、
ちょうど潮が満ちているところだった。しかも、ものすごい速さで。
さっきまで我々が遊んでいたところも、みるみるうちに海水に浸っていく。
昔はたくさんの人が命を落としたというが、思わず納得してしまうぐらいの水の勢いに、
自然の力の大きさ、凄まじさを思わずにはいられなかった。
翌朝、十分に満足した心持で、モン・サン=ミシェルを去った。
ようやく折り返し地点。自宅に戻りつつ、ようやく最後の目的地、ランスへ!
大雨に見舞われたオンフルールの翌日は、昨日の願いが通じたのか、
心に染みるほど青い空を見上げることができた。
こうでなきゃ、とつぶやきながら、モン・サン=ミシェルへと急ぐ。
途中までは車は順調に走っていたのだが、あともう少し、というところで渋滞。
でもそのおかげで、対岸から遠くモン・サン=ミシェルをゆっくり望むことができた。
この旅行記のはじめにも書いたけれど、遠くから眺めていたこの時が、
この旅行中で一番わくわくした瞬間だったかもしれない。
近づくにつれ、海の香りが次第に車に流れ込んでくる。
本当に海の中に建っているんだと実感する。
なんとか島に到着。まずは車を駐車場に入れる。
しかしまだ昼前だというのに、停まっている車の数がすごい。
小さな島にこんなに人が入れるものだろうか、というぐらい多いのだ。
実際島の中に入ると、狭い路地は人でぎゅうぎゅうで、なかなか前に進めない。
カメラを構えても人ばかり写ってしまうので、
こんな写真や
こんな写真ばかり。ちなみにこれは、有名なオムレツ屋さん。食べていないけれど。
まるで満員電車に乗っているような気分になりながら、それでもどうにか宿に辿り着いた。
この人の波にもう一度飲まれる元気はなかったので、ホテルで昼食を取ることにした。
高くて不味かったが、超が付くほどの観光地なのだから、まあ文句は言うまい。
さて、オンフルールの続き。
旧港脇に、仮設のメリーゴーランドを見つけた息子。
大人はあやしい空模様に早く先を急ぎたいのだが、彼がこれをみて黙っているわけがない。
結局夫は四周ぐらい、つき合わされていた。
ところで、息子がメリーゴーランドに夢中になっている間、わたしは息子より寧ろ、この方々に釘付けだった。
「ここだけの話だけど・・・」「うんうん・・・」なんて会話が聞こえてくるようで、なんとも微笑ましかった。
そうこうしているうちに、やっぱり雨が降り始めた。
最初は
この程度だったのが、そのうち
こんな具合に。これほどの大雨に降られたのは何時以来だろう、というぐらいの降りっぷりで、
何故だか笑いがこみ上げてくるぐらいだった。
明日は念願のモン・サン・ミッシェル、晴れることを祈りつつ、宿に戻った。
アミアンから西へ車で二時間くらいのところに、今回の目的地、オンフルールはある。
途中、ノルマンディー橋(もちろん有料)という立派な橋を渡り、いつものことながら迷いながらも無事到着。
古い漁港のある町だと聞いていたから、しばし静かな時間を過ごせるかと思いきや、
中心地に着くなり、それは大きな間違いであったことに気づかされる。
たくさんのヨットが停泊する旧港辺りは、カメラを持った人で埋め尽くされている。
ちょうど跳ね橋が上がるときだったこともあって、道も相当混雑しており、なかなか前に進めない。
あまりに描いていたイメージと違っていたので、思わず笑いがこみ上げてくるほどだった。
見所はさほどない、なのに人は多い、超・観光地だから美味しいものに当たり辛い、
それでも、この旧港周辺を写真に収められただけでも、わたしは十二分に満足だった。
天気の良い日であったなら、もっと楽しめただろうに。
ノートルダム大聖堂の北側に位置する一帯は、サン・ルー地区と呼ばれている。
大聖堂の裏道になんとなくそそられたので、そこから川のほうに歩いていくことにした。
が、ただ休みなのか、そもそも店自体潰れてしまっているのか、とても寂れた印象。
道にほぼ等間隔に飾られている花々が非常に美しいのと好対照だ。
川沿いにはレストランやカフェらしき建物が並んでいるのだが、
お昼時だというのにここも人がまばら。天気も悪いことも手伝って、
まるで冬に観光に来たかのような気分になった。
運河側から振り返ると
こんな感じ。
その後、大聖堂の裏の広場にあった小さな公園で息子を遊ばせる。
彼にとっては大聖堂より観光より、ブランコや滑り台の方が興味深いらしい。
一歳児(当時)なのだから当たり前か。
しばらく息子は夫に預け、わたしは空模様を気にしつつ、周辺の写真を撮った。
アミアン最後の写真は、公園側から見た大聖堂。
さて、いい加減次なる目的地へ向かおうか。
ドイツからベルギーを抜けて、アミアンへと車を走らせる。
迷いつつ今宵の宿を発見した後、まずは世界遺産のノートルダム大聖堂へ。
週末だというのに、あいにくのお天気だからだろうか、人もあまり多くない。
この大聖堂は、フランス国内では最大の高さを誇るという。
ドイツのケルン大聖堂とまではいかないけれど、確かに高い。
でも特筆すべきは実はその高さより、ステンドグラスの美しさだろう。
量だけでもかなりあるし、見ごたえ十分。
わたしの技量では、まったくその良さが出ていないのが、申し訳ないのだけれど。
最後に正面入り口にもう一度戻り、何枚かパチリ。
内部もさることながら、外観も素晴らしい彫刻がぎっしりで、なかなかの迫力。
大聖堂を存分に楽しんだ後は、少し街歩き。その様子はまた次回に。
今回の目的はなんといっても、言わずと知れたモン・サン・ミシェル。
ここを最終目的地として、あとは前後通り道に当たる場所を巡りながらの車の旅となった。
まずはピカルディー地方のアミアン、そしてノルマンディーに入りオンフルール、
それからモン・サン・ミシェルを経て、シャンパーニュのランス、というルートになっている。
本来なら途中、他にも立ち寄りたい町がいくつかあったのだが、
時間の関係でこれが限界だった。
もう少し余裕を見てスケジュールを立てるべきだったと、少し後悔している。
トップの写真は対岸から望んだモン・サン・ミシェル。
最初は遠くに小さく見えていた三角形の塊が、だんだん大きく目にはっきり写っていくその様子は、
おそらく今回の旅で一番印象深く、わたしはちょっと感動してしまったのだった。
というわけで、次回からこの順で旅行記をお届けします。
この懐かしい町での一週間は、その後のフランス旅行も霞むぐらい、
実はとても楽しかった、などと言うと、折角旅行に連れ出してくれた夫に叱られるだろうか。
でも、申し訳ないけれど、本当なのだ。
まず、地図を持たずに町を歩けるのがいい。
どこに何があるか、隅々まで把握しているから、とても気が楽なのだ。
あそこであれを食べよう、ここでこれを買わなきゃ、と、
手帳に書かれた長い長いリストを一つずつ消しながら、
ベビーカーを押しつつ町歩きを楽しんだ。
ああここに戻って来たい、と強く思いながら。
そう思えるのは、ここにいる、数少ない友人たちのおかげだと思う。
彼らがいるからこそ、戻りたい、帰りたい、と思える。
いつも必ずそこにいて、待っていてくれるからこそ。
どんなに素敵に見える町でも、彼らの存在なくしては、色あせてしまうに違いない。
今月はじめ、たくさんの思い出が詰まっている、古巣の町へ戻る機会を得た。
離れていたのはたった二年だというのに、見るものすべてが懐かしくて、つい足取りも軽くなる。
ここへ来た当初は、この町から逃げ出したくてたまらなかったのに、
そんな事実はまるでなかったかのように、今のわたしはすっかりこの地を愛している。
何故か。それは、わたしのドイツ生活のすべてが詰まっている町だから。
楽しいことも嬉しいことも、それから、辛いことも悲しいことも悔しいことも、みんな。
二十代のほとんどの期間、わたしはここで過ごした。
生まれ育った町以外で、こんなに長く一つの町で暮らしたのはここが初めてだった。
学業を終えた友人たちの多くが既に去り、この町に知る人はほとんどいなくなったけれど、
それでも駅に足を踏み入れた途端、つい、ただいま、と言いたくなる。
少し長く居すぎたのかもしれない。
帰り際、もうここで暮らすことはないかと思うと、なんだかとても淋しくなった。
もしも何十年か後に、再びここを訪れることができたなら、
この町はわたしを、おかえり、と言って優しく出迎えてくれるだろうか。
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