今年が平成20年だと聞いて驚くのは、
わたしがそれだけ日本から離れてしまったということだろうか。
ドイツももう9年目か、と考えるだけでも恐ろしい。
友人に薦められて、水村美苗の「私小説」を読んだ。
子供の頃、家族とともにアメリカに行き、それから20年、そこに暮らした美苗。
わたしの9年と、彼女の20年を比べるのはおこがましいが、それでも、
アメリカ社会に溶け込めず、常に日本語に飢え、日本に想いを募らせ、
日本語で書かれた書物を求めた彼女に、
海外で積み重なった、重苦しく息苦しい思いや孤独感に、
わたしはどうしても共感せざるを得なかった。
本の中に、彼女がよく見た夢の話が出てくる。
気がつけば、自分の良く知る日本の風景が目の前にあって、
ああ、日本は飛行機に乗らずとも、こうやって電車ですぐ帰ることのできる所だったのだ、という夢。
そういう夢を彼女は何度となく見て、目が覚める度ごとにまた暗く沈んだのだろう。
アメリカ社会に溶け込んでいるように思われた姉の奈苗も、美苗とよく似た夢を見たと聞いて、
美苗はひどく驚いていたけれど、わたしは彼女が驚くことに驚いてしまった。
なぜなら、わたしも同じような夢を、この8年間、ずっと見てきたから。
わたしは、誰に強制されたわけでもなく、自分自身の意志でここに来た。
やるべきことを果たすまでは、日本に帰るつもりはなかった。
幸い友人はできたし、周りにも随分助けられて、さほど孤独ではなかったと思う。
いや、淋しいと思うことはやはりあったけれど、やるべきことのためには、
寧ろ孤独が必要だった、という面もあったせいか、
日本語と日本食は恋しくなれど、強烈に日本に帰りたい、と思うことは数えるほどだった。
それでも、見るのである。電車か車かなにかで、簡単に日本に帰る夢を。
飛行機のチケットを取るなんて、面倒でお金のかかる手続きを取らなくとも、
思い立ったらすぐに帰ることができるのだ、とホッとしている自分が、夢の中にいるのだ。
それを思い出して、何だか辛かった。
あの頃の自分を思うと、心が痛んだ。
「やるべきこと」を終わらせた今、わたしは随分と解放された。
ここで生きることがかなり楽になった。
それでもまだ、あの夢を度々見る。
それは、日本に帰るまで、ずっと続くのかもしれない。
写真は、今年の干支だ!と思って写したネズミさん。
干支だけは覚えていたようだ。
ついでにハリネズミも。