今年はいつもより、クリスマスマーケットから足が遠のいていた。
この町で迎える初めてのクリスマス、それまでの期間、
ここで開かれる市を心から楽しみにしていたのにも関わらず、だ。
それは、何かと気ぜわしかったことよりも何より、今年が暖冬だったせいなのではないかと思っている。
12月なのに12月という気のしない、暖かい毎日の中では、
クリスマスが近づいているという意識も薄れるというもの。
そんなうちに、気が付いたら終わってしまっていた。
クリスマスマーケットは、ドイツの暗くて寒い冬にこそ似合う、と思う。
きらきら輝く電飾や、色とりどりのクリスマスの装飾に心躍らせながら、
手足がじんじん冷える中、温かいホットワインをふぅふぅ言いながら味わう、
そうでないと、なんだか少し物足りない気がしてしまうのは、私だけだろうか。
毎年のように書いていることだが、ドイツの11月は私にとって一年で最も憂鬱な一月である。
寒さは日毎に増し、太陽を拝める日は少なく、出掛ける気すら起こらない。
これが12月になれば、クリスマスマーケットのおかげで街がぐっと華やぐのだから、
ほんの少しの辛抱、と耐えるのが常だったが、今年はちょっと違った。
先週など、なんとあろうことか20度を越えるような好天に恵まれて、
思わず11月であることを忘れてしまうほどだった。ついでにここがドイツであることも。
日本の、気持ちのいい秋晴れの空を思い出して、少しだけきゅんとなった。
乳母車(そう、「ベビーカー」というより「乳母車」と言う方がしっくりくる、古いもの)を押しながら、
街路樹の下を歩く。すっかり黄葉して落ちた葉っぱを踏みしめつつ。
一歩進むごとに、かさ、かさ、と気持ちのいい音がする、黄色いその絨毯は、
低い位置にある陽の光を浴びて黄金色に輝いている。
ああ、秋はこんなに眩しいものだったのか、初めてそう思った。
新しい家のバスルームから、ある日ふと窓の外に目をやって驚いた。
色とりどりの洗濯物が風に揺られているのだ。
ドイツは景観上の理由から、外に洗濯物を干すことは禁じられている。
おそらくここは中庭だから許されてるのだろうが、今まで目にしたことのなかった光景に、
ここはイタリアかスペインかそれとも南仏か、と不思議な気持ちになった。
休みの日になると更に量の増す洗濯物。
あれ、日曜日は洗濯機、回しちゃいけないんじゃなかったっけ?
ますますドイツっぽくないなあ、と何だか愉快な気分に。
残念なのは、うちのアパートからは洗濯紐が伸びていないこと。
滑車でくるくる、洗濯物を干したり取り込んだり。
家の中で乾燥機を回すより、よっぽど味があるではないか。
うーん、私も仲間に入れてもらえないかしら。
私が白い花をこんなにも好きだと思うのは、私の心がいつの間にか、
すっかり薄汚れてしまったせいかもしれない。
許したり許されたり、受け入れたり受け入れられたり、そんなことが何の苦もなくできたあの頃。
希望や期待や夢を胸に、純真で真っ白な心で、明るい未来を疑いさえしなかった時代は、
もう随分と昔々のことになってしまったということなのだろう。
キラキラと眩しいが故にどうしようもなく憧れる、白は今の私にとって、そんな色だ。
夜、といってもまだまだ日の高い午後7時半。
涼を求めて訪れたカフェからの帰り道、街は赤と黄と黒の三色で埋め尽くされていた。
言わずもがな、これらはドイツの国旗のカラーである。
ユニフォームに身を包み、顔にはペイントを施し、首にはホイッスル、手には国旗。
そう、間もなくドイツ-イタリア戦が始まるのだ。
一体どこから沸き出たのか、と思うほどの人出に、思わず人酔いしそうになる。
街の温度計は35度を示していたが、人の熱気が気温をそれ以上に上げているように思われた。
ドイツ人の、サッカーに対する熱狂ぶりを見ていると、時に羨ましささえ感じることがある。
心から、本当に心から自国のチームを応援し、共に喜び、共に泣く。
大人になってから何かにこれだけ熱狂し、興奮することができるなんて、
なかなかあることじゃない、そう思ってしまうからだろう。
実際、試合中はテレビを点けていなくとも、大体途中経過に予想がつく。
味方のチームがゴールすれば、近所から轟音が鳴り響くのだから。
同様に、最終結果もニュースなど見る必要はない。
勝てば夜中中、車のクラクションは鳴り響き、救急車の出動も俄然増える。
さて今宵はいかがであったか。
驚くほど静かな夜。どうやらドイツにとって残念な結果に終わったようだ。
愛すべき私のドイツの友人たちには申し訳ないが、
私は平和な夜を迎えられて、少しだけホッとしている。
そして、本当に心から悔しがっているであろう友人たちに、
軽い嫉妬を覚えている。
希望や期待や夢。私が既にどこかに置き忘れてしまったもの。
それがまだここにはある。
スポーツが愛される理由が、スポーツを見るのもするのも得意でない私にも、
今回少しだけ分かったような気がした。
今年の五月は本当におかしな天気の連続だった。
春を通り越して夏がやってきたかと思えば、すぐさま日本の梅雨か台風を思わせるような日が続き、
そうかと思えばこの月末の気温は冬に逆戻りで、真冬のコートを着込んでも構わないほど。
思わず暖房をつけてしまいたくなるほどの寒さには、もう閉口するしかないという感じ。
これでは我が家のプランターの、折角出たばかりの小さな芽も、すっかり萎んでしまうではないか。
ドイツは日本と同様、きちんと四季のある国だと思っていたが、そうでもないらしい。
今年に限ってのことなのか、ドイツにはそもそも四季などなかったのか、
それとも地球全体がおかしくなってきているのか。
さすがにあの長雨の後では、もうすっかり散った後だろうが、
今年は気温がなかなか上がらなかったせいか、割と長くまで桜を楽しめた。
五月まで桜?なんと季節外れな!と思ってしまうが、
こんな天気だと、季節感も何もあったものではない。
桜が混乱しても仕方ないのかもしれない。
私には、興味はあっても苦手なものがたくさんあるけれど、その一つが絵を描くことだ。
きっと想像力に乏しいせいだろう、子供の頃、図工の時間によく描かされた、
例えば「未来の絵」だとか「お話を空想してそれに絵をつける」だとか、
目の前に手本とする物体がない状態で描かなければならないことは、
私にとってかなり苦痛を伴う作業だった。
静物画や模写、写生は比較的楽だったけれど、それでもやはり得意ではない。
表現方法のひとつとしての絵画はとても魅力的だ。
これほどまでに一目で印象付ける方法があろうか、と思ってしまう。
音で、文字で、写真で、人はそれぞれ様々な自己表現方法を持つけれど、
自分に出来ないが故なのか、素敵な絵を描ける人にどうしても羨望の眼差しを向ける私。
美術館で静かなひとときを過ごすのは、私の趣味の一つだけれど、
そういった名画の前ではもちろん、パソコンの画面の前でも度々、
名前も知らない誰かのイラストを見ては、ふぅっと溜息をついたりする。
もちろん羨ましさのあまりに。
サグラダ・ファミリア正面前の公園にて。
私だって写生なら負けない!・・・わけないか。
例えばドイツの世界遺産の一つ、ケルンの大聖堂は、
駅のすぐ目の前にあんな大きな建物が、と一瞬驚きはするが、
ここを訪れた時の衝撃度に比べたら、大したことはないだろう。
街中にニョキっとそびえるおかしな建築物、サグラダ・ファミリア。
しかも未だ工事中。そして、少なくとも私が生きている間には、完成しそうもない。
思わずギョッとし、その迫力と奇妙さにしばし圧倒されてしまうのだけど、
各所に使われているモチーフを目にすると、何となく心が和む。
ガウディは植物や貝といった、自然界のものをモチーフに多用している。
確かに自然に作り出された形は美しい。彼が自然を師と崇めるのにも大いに納得。
ええっと、何が書いてあるの?
ヨーロッパを観光するとき、見所といえばお城、教会、大聖堂などがそのほとんどだったりするのだが、
数々見てきたそういった建築物のうち、特に好きなものの一つが、ここバルセロナのカテドラルだ。
ここを初めて訪れたのは確か六年前の夏。とても暑い日で、そこに入ったとたん、
冷たい石の温度で空気がひんやりとして、それは心地よかったのを今もまだよく覚えている。
コツコツコツ。静かに歩いているつもりなのに、ヒールの音が響く。
ここで楽器を奏でたら、さぞかし気持ちよく音が広がるだろうと、
今はホテルで留守番中の楽器に、一刻も早く会いたくなった。
それももう、六年も前のことなのか。
今ではもう、楽器を連れて旅をすることもなくなってしまった。
そのせいか、ここに足を踏み入れて天井を仰いでも、昔のような感動がない。
それは、繰り返し訪れるこの場所に私が慣れてしまったから、では決してないと思っている。
いつかまた、ここで音を響かせたい、そんな欲求に駆られる日が来るだろうか。
私はその日を待ち望んでいる気もする。
密かに淡い期待を持って。
ステンドグラスも美しい(でも上手く撮れなかった!)。
観光客が多い街だからだろう、やたらと道のあちらこちらでパフォーマンスを繰り広げる人たちがいる。
楽器演奏、パントマイム、一番多いのはじっと動かず銅像か何かのの真似をしている人だったか。
どれぐらい静止していたらどれほどの儲けになるのか知らないが、
一時もじっとしていられない私からすれば、よっぽど体を動かして働いた方がいい、と思ってしまう。
もっとも、それが叶わないからこそ、こうやって道の真ん中で芸を披露しているのかもしれないが。
写真はカテドラルの前にて。
中はどうなっているのかしらと、思わずスカートを覗き込んでしまいたくなる(変態?)。
こちらはランブランス通りにて。
演奏中のカエルの表情がなかなかによく出来ていて、
実際鍵盤をたたいているわけではないにしても、ちょっと楽しめた。
うんうん、演奏家ってそういう顔するよな、なんて。
久しぶりのバルセロナ旅行は、長引いた風邪が結局治らぬまま、最悪の体調でスタート。
が、ドイツとはまるで違う、夏を思わせるような気温と空の下にいれば、
ゴホゴホと咳をしつつも、なんだか元気が出てくるから不思議だ。
とはいえ、大事をとって、午前中はホテルでのんびり、そして午後に少し出かける、
そんなスケジュールで一週間を過ごすことになった。
手始めに向かったのは、ホテルから割と近い、サン・ジュセップ市場。
色とりどりの野菜や果物、豊富な魚介類、たくさん吊り下げられた生ハム、
その他諸々を見ていると、ただそれだけで心浮き立つ。
近所にこんな市場があれば、さぞかし食卓は豊かになることだろうと、
普段海から遠い場所に住む私は、つい恨めしく思ってしまう。
「触るな」と言われればそりゃ、触りたくもなる…かな。
ヨーロッパにいると、何故かよく道を聞かれる。
住み慣れた街で聞かれるならまだしも、初めての訪問先でも尋ねられることは少なくない。
どこからどう見てもアジア人の私より、すぐ側の明らかにヨーロッパの人間と思われる人の方が、
ずっとご自分の望み通りの答えが返ってくるでしょうに、と思ってしまうからだろうか、
笑顔で返せばよいのに、ついつい「残念ながら分かりません」と引きつった顔で答えてしまう。
旅の醍醐味って何だろう、と時々思う。
現実からの逃避?新しいモノとの出会い?それとも…?
その旅を振り返った時、ああ行ってよかったなと思えるのは、どういう時だったろう。
綺麗な景色、美味しい食事、素晴らしいサービス、そういうものに出会えた時はもちろんのこと、
訪れた地そのものの印象、それに何より、それを形成する人々との触れ合いがきっと重要なのだ、と思う。
ホテルやレストランの従業員、お店の販売員、バスや電車で乗り合わせた人、
街でたまたますれ違いざまぶつかってしまった人――――たとえそれらがただの旅行者であったとしても、
その地の構成員である彼らから受けた印象が、そのままその地の印象に繋がることは多い。
何か嫌なことがあっても、その後に誰かに温かい対応をしてもらえたら、
それだけでその街が好きになってしまう、なんてよくあることだ。
だから思うのだ。この人の、この街に対する印象は、私の言動ひとつで決まるかもしれない、と。
近所であろうと旅先であろうと、袖触れ合った人たちにはそんなちょっとした責任がある、
そう少しは自覚しなくては、と自分が旅に出る立場になると、いつも反省する。
とはいえ、なかなか実行できないのだけれど。
アムステルダム最終日。
帰りの電車に乗る前に寄った先は、シンゲルの花市。
大量にチューリップの球根を買い求めたはいいが、保存に失敗してほとんどを腐らせてしまった。
それだけが、この旅のちょっと苦い思い出、かも。
昼食をこの村で、と思っていたのだが、カフェもレストランも見当たらない。
そうだ、チーズ工房に行けば何かしらあるかもしれない、そう思いついて工房の中に入ると案の定、
観光客と思しき人々が口をモゴモゴさせながら、
チーズを作る工程についての説明を受けているところだった。
見渡すと、食べられそうなものはパンにチーズを挟んだものぐらいしかなく、
仕方なくそれを注文する。が、これが不思議と美味しい。
おなかが空いてたこともあるけれど、これは思ったよりイケルではないか。
ぺろりとパンを平らげた後、試食コーナーで片っ端から味見してみると、これがみな美味。
端から端まで、と言いたいのをグッと堪えて、そのうちの一つだけをお土産に選んだ。
このチーズ、目下我が家の毎朝の食卓にて大活躍中。
やはりもっとたくさん買っておくべきだった、と少々後悔しつつ味わう毎日である。
アムステルダムを私はとても素敵な街だと思う。
が、ハイシーズンでもないのに観光客が多くて、少々騒がしい。
少しだけ都会の喧騒から逃れたくて、その日の午後は電車に飛び乗った。
行き先は、ザーン川のほとりの村、Zaanse Schansに決める。
コーフ・ザーンダイクという駅で降りるはずが、
間違えて一つ手前で降りてしまう、なんて間抜けな失敗もありつつも、無事到着。
駅から歩くこと15分、橋を渡るとそこは、かわいらしい風車の村だった。
村までの橋から見た風車。
ふと、オランダの町はあちこちと随分頻繁に行くのに、
そういえばこんなオランダらしい風車を見たことは今までなかったことに気づく。
橋の上は寒くて凍えそうで、一枚シャッターを切ると即、先を急いだ。
それがどういう感情から生まれるものなのか、
かわいそうだとか、残酷だとか、そういうものとは少し違う気がするけれど、
どうしても上手く言葉にして表せない、そんな思いを抱えながら、
私は終始ウルウルしっぱなしだった。
そこに足を踏み入れたときからずっと。
朝一番で向かった先はアンネ・フランクの家。
彼女たちのような辛い思いをしなければならなかった人間が、一体どれだけいただろうか。
アンネは、その数え切れない程の犠牲者の中の一人に過ぎないのかもしれない。
それでも、自身の体験や思いを綴り、そしてそれが運良く後世に残った、
そのことは、今の時代を生きる者に、確かな何かを伝えている。
改めて言葉の強さと重みを感じる。
それにしても、常に何かに怯えながら生活するというのは、どれだけ厳しいことだろう。
ましてや自分に何も罪はないとなれば、こんなに理不尽なことはない。
逃げたり隠れたりが、悪い人間だけの行動でなかった時代があった、
そのことを思うだけでも胸が痛む。さぞかし恐ろしい毎日だっただろうと。
それにも関わらず、不平も言わないでできるだけ明るく過ごそうとしたアンネ。
そんな彼女の様子が日記からも展示物からも垣間見ることができる。
幼い少女のどこにそれほどの強さが秘められていたのだろうか。
ここを訪れて、私は彼女から、何かしらのエネルギーをもらった気がしている。
写真は、近くの西教会前の広場のアンネの像。
こんなに短い生涯だったなんて…。
生き延びていれば良いジャーナリストになれただろうに。
最後に西教会の写真を。
翌日、よく晴れた朝。
息を吸い込んだらそのまま喉が凍り付いてしまいそうな、
そんな冷たい空気を纏いながら、水路と水路の間をゆっくり歩く。
白いものがバタバタと音をたてる。見るとカモメだった。
たくさんのカモメ。潮の香りはしなくとも、ここはやはり海の近くの街なのだと思う。
川があって、海があって。大都市でありながら、ここは水の豊かな美しい街だ。
ドラッグに売春宿。自由と背中合わせの犯罪。
アムステルダムのイメージは、訪れる前は決して良いものではなかった。
それが実際、一旦この地に足を踏み入れるとどうだろう、
一度でこんなに気に入ってしまうとは、自分でも思いもしなかった。
たった数日の滞在で何が分かるだろう。
昼間の街を、他の観光客に紛れながら観光地を巡るだけの旅。
でも、それでいいと思っている。
見上げると、平和の象徴が鈴なりに。
すっかり覆されたこの街のイメージが、そこに集約されている気がした。
オリンピックに夢中になっている間に、さっさと過ぎ去ろうとしていた2月。
その最後の週末を利用して、いざオランダの首都、アムステルダムへ。
この時期ヨーロッパは丁度カーニバルのシーズン。
途中、奇抜で派手な衣装に身を包んだ人が、ちらほら電車に乗り込んでくる。
が、ドイツほどの賑やかさはなく、少々安心する。
午後、電車がアムステルダムに着いても、お祭り騒ぎの気配は微塵もない。
ケルンを始めとしたドイツのカーニバルが苦手な私はここでまた、ホッと溜息。
おまけに心配していた空模様も、何故だか不思議なくらいよいお天気だ。
何とも上手い具合にドイツを抜け出したものだ、と一人ごつ。
アムステルダムはずっと行ってみたい街の一つだった。
ゴッホとアンネ。この二人に会いたいが為に計画した小旅行。
ホテルに着いて一息ついたのも束の間、早速向かったのはゴッホ美術館。
人が多いのには閉口したが、楽しい旅の始まりにはこの上なく相応しい、
上等なコレクションの数々だった。
惜しむらくは、やはりもう少し落ち着いてゆっくり観て廻りたかった、ということ。
私には、小さな美術館で数点のよい作品を愛でるような、
そんな地味でささやかな楽しみ方の方が合っているのかもしれない
(そういえば昔、パリのロダン美術館で、思いがけずゴッホの絵に出会い、えらく感動したことがある。
確かたった二点しか飾られていないけれど、これが両方素敵なのだ)。
とはいえ、それでも念願果たせて大満足。
さて明日はアンネに会いに行こう。
便利な時代になったもので、これまで手紙にしたためていた報告も、
ちょっとしたものならメールで済ませる癖がすっかりついてしまっている。
電話、ファックス、メール。郵便の、切手を貼って出す手間と、海を渡って届く時間を考えれば、
それらは遥かに手軽で、それだけに億劫がらず連絡を取ることができて、そこは大いなるメリットだろう。
しかしこんな時代にあっても、未だ私の友人の中に、パソコンも携帯も持たず、
通信とはすなわち郵便、せいぜい家の固定電話、という人がたった一人だけいる。
今思うと、この十年でメール文化にすっかり慣れ親しみ過ぎた私と、
昔ながらの連絡方法しか持たない彼との連絡が途絶えるのも、無理もない話だったのかもしれない。
最後に彼の筆跡を目にしたのは一体何年前のことだっただろうか。
あれだけ学生時代を共に過ごした、大切な仲間の一人だったのに。
この冬、報告したいことができた私は彼に一通のハガキを書いた。
あれからもう何年も経った。恐らくは変わっているに違いないと思いつつも、
宛名に私が唯一知っている彼の最後の住所を記す。
数週間後、見慣れた字で書かれたハガキがポストに入っていた。
が、それは彼の筆跡ではなく、私のもの。
ドイツから海を越えて日本に渡ったハガキは、転居先不明でまた海を越えて戻ってきたのだ。
"RETURN TO SENDER"の赤い文字が、少し悲しかった。
留学で一人ぼっちで淋しかった私を、いつも励ましてくれた彼。
今どこで何をしているか、これで私が知る手段はなくなってしまったけれど、
お互い元気でいれば、いつか必ず会うような気がする。
世界のどこかで、きっと今も夢を持ち続けているであろう彼と。
二月最初の朝の空気は、まだまだキーンと音がするほど張り詰めていて、
吐く息もそばから凍ってしまいそうなほどだった。が、不思議なことに嫌悪感はない。
寧ろ妙に肌に心地いい。二月にしては上出来なほど晴れ渡った青い空のおかげか。
誰かが今年のドイツは半世紀ぶりの寒さらしい、と言っていたのを聞いたが、
本当にそうなのだろうか。ここ数年で今年よりもっと底冷えのする年はあったように思う。
もっとも、その年はひょっとして、体でなくて心が寒かっただけ、だったのかもしれないが。
まあそれももう、今となっては昔のこと。
友人に、毎年のように決まって冬にドイツを訪れる人がいる。
そしていつも私に連絡を寄越さない。せいぜい明日帰るという日に電話をくれるか、
大抵は帰国の後、実は先週ドイツの**に行ってね…という事後報告メールが来るのが常だ。
休みをまとめて取ることはきっと可能なのだと思う。
それなのに、ドイツ滞在は賞味2-3日、などというプランで旅行する。
そして、昼間は適当な公園を見つけてドイツ人顔負けの「散歩」をし、
夜はクラシックのコンサートに出掛ける、そんな数日を送っただけで、
文字通り日本にすっ飛んで帰ってしまうのだ。きっと満足顔で。
こんなに贅沢な旅行があるだろうか、と思う。
少なくともあれもこれもとつい欲張ってしまう私には、どうしたってできそうにない。
人が好まないこの季節を、彼が敢えて選ぶのは何故なのか、今までずっと分からなかった。
その秘密が今朝、少しだけ分かった気がしたのは、朝の空気に触れたからだ。
キリリとしたその空気は、人の気持ちをしゃきんとさせる効果がある。
冷たいながらも、どこかに春を予感させるこの空気を感じると、
今まで冬の間眠っていた力が湧き出てくるような気がしてくるから不思議だ。
きっとこれが好きで、彼ははるばる日本からぶらりとやって来るのではないか、ふとそう思った。
尋ねてみたことはないから、真相は分からないけれど。
彼はこれからも、自転車に乗って近所を走り廻るぐらいの気軽さで、
毎冬わざわざ一番寒い時期を選んで、この地にやってくるのだろう。
もしかするとちょうど今頃、ドイツのどこかで散歩に勤しんでいたりするかもしれない。
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