いつだったか、バスに乗っていると「あーあ、昔は良かったよなあ」という声が聞こえてきた。
声のする方向に顔を向けると、目に飛び込んできたのはランドセルを背負ったかわいい男の子。
あんまり驚いたので、えええ、と思わず声が出そうになった。
キミの昔って一体いつのこと?数年前の幼稚園?それとも、まだママのお腹の中に居た頃のこと?
ついそう意地悪く思ってしまうのは、わたしがもうすっかりおばさんになってしまったせいだろうか。
彼らにだって昨日はあるし、昨日があれば昔があったって、不思議はないのに。
昔かあ、とふと考える。今のこの気ぜわしい毎日の中で、昔を想うことはそうそうない。
が、ある時ふとした瞬間に、ぐぐぐと記憶が蘇ることがある。
そのきっかけは、例えば映像であったり音であったり、味であったりするものだが、
私にとって一番強烈に昔を感じ、急激に懐かしい思いを引き起こすのは、嗅覚の記憶である。
ある匂いが、それに関連する記憶を蘇らせることを、プルースト効果と呼ぶらしいが、まさにその状態。
コンクリートに打ち付けられた雨の日の空気、図書館で開いた古い本から漂う感じ、
通学路途中の金木犀のうだるような香り、そういったものに思いがけず再会したなら、
私はすぐにランドセルを背負ったあの頃にタイムスリップしてしまう。
決してよい思い出などなかったあの頃、それなのに、途轍もなく懐かしい気持ちに捉えられて、
何ともいえない甘酸っぱい思いで、胸がぎゅっと締め付けられるような気がしてくる。
面白いのは、例えば、ふとすれ違った誰かの香水の香りだったりとか、
シャツに染み込んだタバコの匂いでは、そこまでの想いに至らないことだ。
それは、その記憶が比較的最近の時代のものだからではないかと思う。
思い出しはするけれど、懐かしいと感じない。
そして、懐かしいと思わないのは、まだ私にとってその頃が「昔」になっていないからだ。
現在は、まだその頃の延長線にある、そんな感じ。
自分の過去も現在も未来も、本来は一つの線上に並んでいるものなのかもしれない。
でも、私が思う「昔」は、その線が途絶えたところにあるような気がするのだ。
もう手の届かない、ずっと向こうに。
年を重ねるごとに、自分が感じる「昔」は、次第に変化していくに違いない。
おそらくいつの日か、(今現在の)2005年5月のことを懐かしみ、「昔はね…」などと語るようになるのだろう。
五年後、十年後…。私はどんな香りで、一体何を思い出すのだろうか。
できれば素敵な、いい出来事ばかりが蘇りますように。
そのためにも、今この毎日をしっかり生きなければ。
十年一昔、なんて言うけれど、あなたにとっての「昔」はいつですか。